« 火星・大接近! | Start | Schreib das Tagebuch »

槇原敬之さんの記事

☆「逆風満帆」ミュージシャン 槇原敬之(上)
 http://www.be.asahi.com/20050507/W14/0010.html

☆「逆風満帆」ミュージシャン 槇原敬之(中)
 http://www.be.asahi.com/20050514/W14/0024.html

☆「逆風満帆」ミュージシャン 槇原敬之(下)
 http://www.be.asahi.com/20050521/W14/0024.html


「逆風満帆」ミュージシャン 槇原敬之(上)
☆元記事 http://www.be.asahi.com/20050507/W14/0010.html
 たとえば、チョウになることを夢見た虫たちが結局、蛾(ガ)にしかなれなくても、ありのまま肯定しよう。蛾にしかない美しさを発見しよう。そんな新しい価値観を提示する音楽を、この人は作り出した。

 SMAPが歌い、200万枚以上のセールスを記録した「世界に一つだけの花」。02年にアルバムの1曲として発表され、翌年にシングル発売された。「ナンバーワンよりオンリーワン」というメッセージが、混迷の時代にひとすじの光を投げかけた。子供から年配層まで幅広く愛されるという意味で、21世紀になって唯一の国民的ヒット曲といってもいいだろう。

 その詞を、曲を生み出した槇原敬之(35)が語る。  「人はくだらないことで他人と比較するあまり、その人に与えられた役割を突き詰めることを忘れてしまう。怒りっぽい人のそばに優しい人がいれば、怒りっぽい人が優しくなれたり、トロンとした優しい人が『正しいことは正しい』と言い続ける強さを持てたりするかもしれないよね」  花のイメージに仮託した歌詞の意味するところを、身近なたとえで語りおこす。あれだけヒットした曲ならば、少しは得意げになってもよさそうなところだが、その口調はむしろ厳粛だ。

 「SMAPには本当に感謝しています。僕がある意味、色メガネで見られ、歌がなかなか届きにくい状況にあって、本当に託しましたよね、彼らに。この歌の大事なところを、どうかみんなに伝えてほしいと」  99年8月26日。槇原は覚せい剤所持の疑いで現行犯逮捕された。無期限の活動停止。秋からのコンサートツアーは中止され、数億円の借金を背負った。さらに所属レコード会社は、これまでの全作品を回収および出荷停止にした。薬物で逮捕された歌手に対する処分として、過去に例のない厳しいものだった。

 それまで、槇原の歌手としての歩みは順調そのものだった。デビュー翌年の91年に「どんなときも。」がミリオンセラーとなり一躍スターダムに。その後も「もう恋なんてしない」「No.1」などヒットを連発。98年には、長野五輪聖火リレーの公式応援ソング「足音」の旋律が、多くの観衆の胸を揺さぶった。  だからこそ、なぜ? 逮捕のニュースは衝撃をよんだ。  「人は自分で納得したいから誰もがわかりやすい理由を求めるけれど、曲が書けないとか、プレッシャーに押しつぶされたことはないんです。ただ強いていえば、年中切れ目なく音楽という状況に疲れて、情熱が冷めてしまっていたのかもしれない」

■ふれあい取り戻した

 警察の留置所で過ごした約20日間。「槇原敬之」ではなく番号で呼ばれ、裸になって仲間と一緒に風呂掃除をしたという。人間とのふれあいを取り戻した槇原はむしろ「ほっとした」と述懐する。

 「あのころ僕は本当に自分のことしか考えていなかった。ファンへの感謝を忘れ、スタッフの力添えがあってこそ歌手として成功できたことに、おろかなことだけど、捕まるまで気づかなかった。逆に、あのとき捕まっていなかったらと思うと怖くなる」  だが、保釈されたとき、騒ぎは自らの想像以上に大きくなっていた。テレビのコメンテーターはしたり顔で彼に「謝罪」を求め、週刊誌は性的な“嗜好(しこう)”について書き立てた。

 「味方になってくれると思った両親まで『あんたどうしてくれるのよ!』と僕を責めた。その気持ちはわかるけれど……。現実はホームドラマと違って厳しかったですね」  大阪・高槻の実家にも報道陣は押し寄せた。足腰の悪い祖母を気づかい、布団を取り込んだ槇原の写真が週刊誌に載り、祖母は「自分のせいだ」と心を痛めた。申し訳なさでいっぱいの気持ちを、どうすることもできなかった。

 過去の自分を反省し、再出発を望みながらも、安住の場所はなく、槇原は貝のように沈黙を守るしかなかった。  救いの手は、ニューヨークからさしのべられた。  槇原が「一生忘れない」という一通の手紙。差出人は、以前から敬愛していた音楽家の矢野顕子だった。=敬称略 (宇都宮健太朗)

 〈まきはら・のりゆき〉 69年大阪府高槻市生まれ。90年歌手デビュー。翌年、映画「就職戦線異状なし」の主題歌「どんなときも。」でブレーク。「SPY」「素直」などヒット多数。18日に、新曲「明けない夜が来ることはない」発売。

「逆風満帆」ミュージシャン 槇原敬之(中)
☆元記事 http://www.be.asahi.com/20050514/W14/0024.html
■忘れ得ぬ一通の手紙
 <ライフ・イズ・ノット・イージー>(人生は楽じゃない)

 ニューヨークに住む音楽家の矢野顕子(あきこ)から槇原敬之(まきはら・のりゆき)に届いた手紙には、そう記されていた。覚せい剤所持で逮捕され、保釈中だった槇原は、優しさに満ちたメッセージに胸が熱くなった。

 こんな文面だったという。

 「私も親しい人の面会に行ったことがあります。あんな冷たい場所にずっといると思うと、してしまったことは悪いけれど、本当につらいだろうと思った。今あなたも同じようなところにいると知り、いてもたってもいられず、この手紙を書きました――」  槇原を思いやる言葉とともに、人のこころの「光と影」についての深い洞察が、手紙にはつづられていた。  ……僕はまだ人の気持ちが全然わからないのに、なぜこの人にはわかるのだろう。こんなに優しい気持ちでいてくれる人に、なぜつらい思いをさせてしまったんだろう。

 槇原に“謝罪”を迫る人はごまんといたが、心の底から素直に『ごめんなさい』と言えたこの瞬間を、彼は今も忘れない。

 「思っていれば、血がつながっていなくても心が通じるんだ、と教えてくれたのが矢野さんでした。貴いものは、時空を超えてやって来て、僕がしなくちゃいけないことをするように導いてくれる」

 99年12月8日。東京地裁が槇原に下した判決は懲役1年6カ月、執行猶予3年。

 槇原は結果を真摯(しんし)に受け止めた。その一方で、新たな問題が浮上していた。  槇原自身が出資してつくった当時の個人事務所の社長が、1億円を超える金を横領していたことが発覚したのだ。槇原の逮捕によるツアーの中止で、事務所は多額

の借金を負い、それに伴う監査で明るみに出た。槇原は民事提訴に踏み切った。  「周りの人全員がやめたほうがいいと言った。以前の僕なら従っていた。でも、彼に横領を許してしまった僕も悪い。僕が捕まっていなければ、事態はもっと悪くなっていたし、僕自身も何が正しいのか、モノサシを持てなかったかもしれない」  優しさだけでは人のこころを愛撫(あいぶ)はできても、愛することはできない。痛みをなおすこともできない。

 大人への脱皮を遂げつつあった槇原の思いは、自分の原点に立ち返るのだった。

 「僕は音楽で、誰かの役に立ちたい」  90年。デビューが決まって上京する際、大阪・高槻の駅で母に言い残したセリフだ。

 電器店の一人息子として生まれ、幼稚園のときピアノを習いはじめた。ゴダイゴ、オフコース、カーペンターズ……。ラジカセから、レコードから流れる音楽に夢中になった。小5でYMOと出会い、中2でシンセサイザーを買ってもらった。たちまち、曲作りの魅力にとりつかれた。

 「少年時代? 恥ずかしいんだけど、中1から高3までの思い出が音楽しかなくてさ。高校時代の友達にも『あんたたちがデートしたり楽しいことをしているとき、僕は音楽しかやってなかった』なんて笑って言ったりね」

■音楽にささえられた

 高校卒業後、母親とは進路をめぐってケンカばかりしていた。商売の大変さを身にしみて知る母は、息子を安定した職につかせようと、大学受験を強いる。しかし、槇原は予備校をさぼって淀川の河川敷に座り、終日ウォークマンを聴いていた。1週間ほど家出したこともある。浪人生活は2年目に突入した。

 光が見えないとき、槇原を支えたのはいつも音楽だった。デビューから数年後、心から信頼していた友人にひどく裏切られたときは、中島みゆきの「誕生」という曲に、生きる力を与えられた。

 その歌は、こういうメッセージを伝えていた。  ……思い出してごらん。生まれてきたとき「ウエルカム」って言ってもらったはず。でも、どうしても思い出せないときには私が言う。生まれてくれて、ウエルカム。

 いま、槇原はいう。  「結局、僕が逮捕されたのは『歌で役に立ちたい』と思ったときの自分を忘れてしまったから。実家から逃れるための口実だったんだよ。たった1人を前にしていった言葉をないがしろにする人間が、大勢のお客さんを感動させられる歌を書けるわけがない」

 2000年に入って、槇原は内省の色濃いアルバム「太陽」の制作に取りかかった。「世界に一つだけの花」が咲くまでは、さらに3年近くの時間が必要だった。=敬称略 (宇都宮健太朗)

「逆風満帆」ミュージシャン 槇原敬之(下)
☆元記事 http://www.be.asahi.com/20050521/W14/0024.html
■「余の中」を直し伝える

 「砂漠でいくらのどが渇いていても、ダイヤモンドを見せられたら飛びついてしまうのが以前の僕だった。でも、素直に『水が飲みたい』と言える自分になれたのかなと思える3年間でしたね」

 00年の音楽活動への復帰から、「世界に一つだけの花」が咲くまでの期間を、槇原敬之(まきはら・のりゆき)(36)は振り返る。こころの中の闇を見つめ、病んだ部分を直す手がかりを求める歌。ポップな曲調は健在だったが、この時期の歌に込められていたのは祈りや感謝、ときには決意表明であった。

 「こんな歌を歌ってたって売れないよ」「また昔みたいなラブソングを書いてよ」
 そう“忠告”する業界関係者は少なくなかった。ケンカになることもあった。だが、槇原は「歌いたい歌」ではなく「歌わなければならない歌」を求めていた。積極的に人と会い、この時代に生きるうえで大事だと思うことをノートにメモしていった。

 「世界で一つ…」は、制作依頼を受けてからわずか2週間で生まれた。ナンバーワンよりオンリーワン……歌の核心となった言葉は、槇原が「ご神職」と慕う神社の神主の話がもとになっている。

 「昔から僕は仏教が大好きで、お釈迦様の言われた『天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)』という言葉がこの『世界に一つだけの花』だったりします。どの宗教がどうとかでなく、いまの時代に一番求められている考え方だよね。僕にできるのは世の中を正すことじゃない。“余(よ)<自分>の中”を直すことを通じて、それを伝えるのが役割かなと」

 SMAPが歌ったこともあり、「世界で一つ…」は社会現象になるほどのヒットとなった。昨年はアルバム「EXPLORER」がヒットチャートの1位を獲得。ダウンタウンの2人と組んで、槇原が作曲を手がけた「チキンライス」も、いまやサラリーマンのカラオケの定番曲となった。

 「世界に一つ…」の大ヒットによって、槇原に“求道者”的なイメージが付き、ポップスの歌い手として一種の重荷になりはしないか。それは杞憂(きゆう)だったようだ。
 「人の手本になることなんて全然できていないし、大事なことも忘れてしまいがちだからね、実際の生活では」

 槇原はそういって笑った。

 この13年、槇原のレコーディングやツアーに参加しているギタリスト小倉博和(45)はこう語る。

 「体力も気力も、お金も惜しまない人。自分で事務所をマネジメントしているのは、『良いものは自分の手で作りたい』というインデペンデントな心の持ち主だから。成功もリスクも引き受ける潔さと度量が、彼のオンリーワンな点だと思います」

 今月18日に発売された「明けない夜が来ることはない」でも、槇原は深く“余の中”を掘り下げている。歌に登場する「僕」は槇原自身のパーソナリティーを離れて、より広い普遍性を獲得した。新境地を感じさせる一曲だ。

■さびしがりやであれ

 槇原にはどこか“子役出身”のタレントのような面影がある。それは21歳でデビューし、立て続けにヒットを飛ばした後も「音楽を取ったら自分には何も価値がない」と考えていた、あまりに一直線だった生き方とどこかで通じているのかもしれない。

 だが、今の槇原は違う。

 「一生懸命生きていれば、音楽じゃないことをやっていても生きていけるという確信が持てるようになった。自分のことが一番じゃなくて、人のことが一番だって生きている人は、誰も悪いようにはしない。人が悪いようにしても神様が放っておかないよ、という心の強さを得て、本当に楽になりましたね」

 音楽は特別なものじゃない――。槇原は最近そう感じている。最愛の人、目の前にいる人に「何ができるだろうか」と考え、思いを伝えることが大事ならば「お母さん、元気?」と手紙を一通書くほうが、3000円のCDを発売するより、ずっと尊いかもしれない。そう彼は語る。

 逆にだからこそ、真摯(しんし)に音楽を作らなければ。槇原は思いを新たにする。今年はアルバムを2枚発表し、秋からはツアーに出る予定だ。

 「人はさびしがりやであるべきだと思うよ。さびしくないように、相手のことを考えるから。多少は不安なほうがいいんだよ。そのほうが助けあえるからね」

 インタビューの終わりに、そう槇原は語った。いまだ旅の途上にある自分を自覚しているからこそ口に出た、印象深い言葉だった。=敬称略
(宇都宮健太朗)

|

« 火星・大接近! | Start | Schreib das Tagebuch »

音楽に感謝!」カテゴリの記事

Denkschrift [ bei mir ]」カテゴリの記事

Kommentare

Bei diesem Eintrag wurden Kommentare geschlossen.

TrackBack


Folgende Weblogs beziehen sich auf 槇原敬之さんの記事:

« 火星・大接近! | Start | Schreib das Tagebuch »